ワークライフバランスについて思うこと

学生時代にとあるバイトをしてたとき、ある職員さんから聞いた話が印象に残っている。

 

その人はある一流企業に勤めている知り合いから相談を受けたらしい。

「仕事が忙しすぎて困ってる。転職したい。」と。

でもその人は、「そんなこと一流企業を選んだ時点でわかりきってたことじゃんね、何を今さら言ってるんだ。」と言っていた。

一流企業のネームバリューに絆されて、その道を選んだ人たちは多かれ少なかれそのブラックさに、ほとほとまいってるらしい。

 

その人は「その点、今の自分の仕事はいいよ」と勧めてくれた。

この話の流れからすると、「ただ楽だから」というように聞こえると思う。

もちろん、そういう側面もその人は教えてくれた。

でもその後に続いた言葉が印象に残ってる。

「いろんなことが起こって楽しいからね。」

ここに僕はときめいた。

 

最近ワークライフバランスのことを考えるとき、この話をすごく思い出す。

 

たしかにその人の仕事では、世界を変えることはできないかもしれない。一般的に見れば地味な仕事だと思われてるとも思う。

 

それでも「いろいろなことが起こって楽しい」とその人が思えることにものすごく価値がある。

だって、世の中にはいろいろなことが起こらない楽しくない仕事もたくさんあるはず。

 

それでブラックでもないなんて、なんて素敵な仕事なのだろう。

 

地味に思える仕事だって、自分の捉え方次第でおもしろくできる。

結局はそれなりにおもしろくて、そんなに忙しくない仕事を選ぶのが1番良いんじゃないかなんて思ったりもする。

 

でも本当にそれでいいの?

もう1人の自分がいる。

そうやって自分の天井を勝手に決めて、安定した道を歩いていいのだろうか。

 

まだ若いのだから、ものすごくおもしろくて、だけどプライベートに支障をきたすほど大変な仕事。そんな仕事との巡り合いをまだ模索すべきなんじゃないだろうか。

 

結局、自分のことは自分で決めるしかない。自分は自分の価値観を信じるしかない。

 

ただ一つ確かなことは、

おもしろくないのに大変な仕事、

おもしろいけど大変な仕事、

その人たちが自分のプライベートを犠牲にしてくれているおかげで、

僕たちは美味しいご飯が食べられて、心揺さぶる本や映画や音楽に出会えて、そしてなによりそんなに身の危険を感じることなく平穏に暮らすことができている。

職業に貴賎はないのだと本気で思う。

その人たちへの敬意を忘れたくない。

 

そのうえで自分はどこに向かうのか、考えることをやめないようにだけはしたい。

考えるのをやめたらそこで終わりだから。

凪良ゆう『星を編む』感想

『流浪の月』しかり『汝、星のごとく』しかり、一般的に「正しいとされてること」がいかに陳腐なものかを考えさせられる。自分にはその正しさからはみ出る勇気はまだないけど、自分の正しさを無防備に人に押し付けるような人にはなりたくない。

 

北原先生や植木さん、どこか浮世離れしていて完璧に見える人たちも、実は問題を抱えている。完璧なんて存在しない、そんな当たり前のことに気づかされた。

特に植木さんの家庭での会話は、凪良さんの小説でここまで日常にこびりついたものが出てくるのかと驚いた。

 

ワークライフバランスなんて言葉が言われて久しいが、本気で何かを成し遂げようとするときにはどちらかを犠牲にしなきゃいけない。何かを犠牲にしてくれている人たちのおかげで、この世界は成り立っている。バランス取るなんてそんな簡単にできることではない。そのことをどう捉えたら良いのだろうか。

Mr.Children『miss you』考察 メンヘラ男の復活〜諦めと悟りの境地

『深海』以上の問題作であることは間違いない。若さゆえの絶望で終わる深海に比べて、50歳を超した主人公が人生に見切りをつけてしまっているという点で、深海以上に暗い作品といってもいい。

 

この作品の特徴は、『HOME』以降消失してしまった桜井和寿自身が主語の歌詞」とミスチルの真骨頂「メンヘラ気質の男の歌詞」が完全復活したことだろう。

 

表題曲「I MISS YOU」の「何が嬉しくてこんなん繰り返してる? 誰に聞いて欲しくてこんな歌 歌ってる」や「青いリンゴ」の「失ったものを悔やんでばかりいたって意味がないぜって歌ってた僕は今もいる」といった歌詞は、桜井和寿自身が主語であると捉えることもできる。

 

また、「Are you sleeping well without me?」や「Party is over」のメンヘラ度合いは初期作品を彷彿とさせる。

 

鬱屈とした前半に反して、後半3曲は一見何気ない日常を愛でるという「ここ最近のミスチル」に戻ってるように思える。が、そこにはどこか不穏な空気が漂う。

 

「欲張らないでいれば人生は意外と楽しい」「高望みしないでいれば成長も遠ざかっていく そんな迷いも2人なら答え以上の意味がある」(黄昏と積み木)

「賞味期限ギリギリのチーズも入ってるはずだよ ただそれだけの夕食 幸せすぎる食卓」(おはよう)

 

これらは日常を「愛でる」というより、現実はこの程度のものだと「諦める」という表現がしっくりくるように思う。

同じ諦めるでも「蘇生」のような「叶いもしない夢を見るのはもうやめにすることにしたんだから 今度はその現実を夢みたいに塗り替えればいいさ」という前向きさは見られない。

序盤の「LOST」でもラストの「おはよう」でも、相変わらず仕事終わりのビールだけが楽しみと歌っており、アルバム前半と後半で主人公の状況が本質的に好転している様子は見受けられない。

 

「Fifty's map ~おとなの地図」のMVにおいて、主人公が「くるみ」のMVを観ても自らは感化されずそのまま終わるところをみても、本作のテーマが「諦め」「悟り」であることは確かだろう。

 

「半世紀へのエントランス」というツアータイトルで50周年まで続けることを宣言した一方で、いつまでこの生活を続けるのかという桜井和寿自身の葛藤をリアルに歌ったアルバムともとれる。

 

『HOME』以降のミスチルがつまらなくなったという人にこそ聴いてほしい名盤だ。